Yakami.org  堺市美原区八上校区自治連合会 本文へジャンプ
 

八上(やかみ)の由来

 「八上小学校」の校地の元は、八上池(やかみいけ)でした。  八上池は、明治32年に用水が乏しく安定した農業ができないと、大饗・菩提両村の田地所有者が決議して地主から土地を買い取り、工事分担などを協力して造られたそうです。

 その後、農業用水の需要が減り埋め立てられ、八上小学校の用地になったのです。

 また、八上小学校の在る「大饗」は昔の河内国に属し、平安時代後期に丹比郡(たじひこおり)から分立してできた八上郡(やかみのこおり)にありました。

 その範囲は西除川より西の地域で、北は丹北郡、東と南は丹南郡、西は和泉国大鳥郡に接していたそうです。

 八上郡は、明治22年に金岡村・北八下村・南八下村に別れ、大饗の在る南八下村の一部が昭和33年に美原町、さらに平成17年に堺市美原区となりました。

 要するに、八上小学校は昔の河内国(かわちのくに)八上郡(やかみのこおり)の南東角に位置する大饗郷(おわいのごう)に在った八上池の後にできたので「八上(やかみ)」なのです。

 現在、「八上(やかみ)」の名が残るのは、八上小学校だけです。大変貴重な事です。

 ※読みは美原町史による